板谷波山 「茶入」宮原 謙箱[ITAYA Hazan]
商品コード / Item number: 14176
高さ / Height (cm): 8.5
径 / Width (cm): 7.6
底部に印「波山」
板谷 波山ITAYA Hazan
- 1872年 茨城県真壁郡下館町(現、筑西市)に 生まれる。
- 1885年 下館尋常小学校卒業。
- 1887年 上京、成城学校(陸士予備校)入学。
- 1888年 陸軍士官学校受験、不合格。
本郷の洋画家河久保正名の画塾に通う。
- 1889年 東京美術学校(現、東京藝術大学)彫刻科入学。
- 1894年 同校卒業。
開成予備校で彫刻,、攻玉社中学校で図画を教授.
- 1896年 石川県工業学校彫刻科教諭とになる。
- 1898年 彫刻科廃止。陶芸科を担当する。
- 1903年 教諭を辞職。
東京高等工業学校窯業科嘱託となる。
東京都北区田端に住居と工房建立。
- 1904年 郷里の筑波山に因んで波山と号す。
倒焔式丸窯を築窯。
深海三次郎が轆轤を担当。
- 1910年 現田市松が後任として轆轤を担当。
- 1911年 葆光彩磁の試作始まる。
- 1914年 後援会「波山会」が結成。
- 1917年 「葆光彩磁珍果文花瓶」(重要文化財)を<
日本美術協会展出品、金牌第一席受賞。
- 1918年 「波山会」結成。
- 1929年 工芸科初の帝国美術院会員となる。
- 1933年 郷里に鳩杖を制作し寄贈を始める。
- 1937年 帝国印芸術院会員。
- 1938年 観音像や香炉制作し寄贈。
- 1945年 空襲により住居、工房全焼。
- 1950年 田端に工房再建。
- 1951年 下館町名誉町民。
- 1953年 陶芸家初の文化勲章受章。
- 1954年 茨城県名誉県民。
- 1960年 国の重要無形文化財保持者に推挙されるが辞退。
- 1963年 91歳逝去。
- 明治・大正・昭和に渡って活躍した日本近代陶芸の巨匠です。中国古陶磁の造形を採用し西洋陶芸のアール・ヌーヴォー様式を用い、独創的な世界を切り開いてゆきました。きらめく釉薬で表現される「彩磁」、緻密な彫刻で文様を浮き彫りした「薄肉彫」、光を包む技法「葆光彩」など、その美しさは今もなお人々を魅了しています。