永楽保全(11代永楽善五郎)EIRAKU Hozan
- 1795年 千代太郎として生まれる。
- 1806年頃 10代善五郎(了全)の養子となる。
- 1817年 11代善五郎を襲名。
- 1823年 長男・仙太郎(のち和全)生まれる。
- 1827年 1827年(文政9年)紀州藩主・徳川治寶の御庭焼開窯に招かれ、「永樂」の銀印を拝領。
- 1843年 和全に名を譲り、善一郎となる。
- 1848年 保全と名を変える。
- 1851年 湖南焼を始める。
- 1852年 高槻窯築窯。
- 1854年 60歳で逝去。
- 13歳頃に10代善五郎(永樂了全)の養子となり、1817年に11代善五郎を襲名します。1843年に子息の和全に善五郎の名を譲り善一郎を名乗り、さらに1848年に保全と名乗ります。交趾、青磁、古染付、祥瑞、赤絵、金襴手、仁清写し、高麗写しを手掛け、
どれも完成度が高く幕末京焼名工の一人に数えらます。
- 本作は1848年~1854年の永楽保全時代の制作品。今から170年以上前の江戸時代に日本で、これ程の金襴手が作られていたことに驚きを感じえない完成度の高い作品。ハリ木とは輪花のような先端が尖った形姿を現す言葉。見込部分に焼成時に出来た不純物による点状窪み(窯傷)が有り、当時の技術力ではいたしかたないであろうが価格には反映させた。